SKiCCO REPORT

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アイドル冬の時代とはなんだったのか

アイドル戦国時代だなんだって言われてるとすっかり忘れそうだが、アイドル冬の時代ってのがあったんだよ。間違いなくあった。いやどうだろうあの頃のほうがむしろ豊かだったのではないか、と言いたい向きも無いではないが、「『アイドル冬の時代』と呼ばれる時代があった」ことは確かなのだ。
なんで急にこんな話しはじめたかってえと、こないだTLで軽く話題になってたからというか話題に乗り遅れたから。そんな面白そうな話俺も混ぜてくれよって感じで今頃ここに書いてる。


そもそもいつの話だよ、と。
この話題始めるとまずそっから話はじめなければいけない。人によってばらつきがあるのだが、私はちょうど昭和が終わってからミレニアムが終わるまでじゃなかろうかと感じてる。いちおうそれなりに理由がある。


アイドル黄金時代と呼ばれたのが80年代前半。その後おニャン子がアイドルを「消費」するものに変化させ、そのおニャン子も本体は87年に解散。おニャン子最後にして最大のスタアである工藤静香を擁したうしろ髪ひかれ隊の「活動停止」は88年である。その後の工藤静香に「元おニャン子の」という冠は不要になった。それが、昭和最後の年。
おニャン子が終焉を迎える一方で、勃発したのがバンドブームである。ざっくりと言えば現在のJ-POPにつながる潮流になったとも言えるだろう。今と違って当時は言葉通りのインディペンデンスレーベルだったXが「紅」でメジャーデビューしたのが89年。平成最初の年だ。


平成にだってアイドルはいた。それもおニャン子の反動か何か知らんが、各事務所・レコ社はソロのアイドルをこぞって売り出していた。が、大ざっぱに言えば、誰一人全くとして売れなかった。おニャン子と同時期のソロアイドルは辛酸を嘗めたなどと言う話も耳にするがそういうレベルではない。文字通り誰からも相手にされなかったのだ。
しかも誰かが突出した人気があってそのわりを食ったというわけではなく、誰も売れなかった。全滅だった。田村英里子宍戸留美など今も活動してる人はいるにはいるが、いずれも当時の活動は一時的な中断や中止を余儀なくされ、その後の再活動で道を切り開いた人ばかりだ。
当時は今と違いインディーズのアイドルというのは成立しえなかったので全員がメジャーだった。それはすなわち、メジャーレベルでのビジネスベースにのらなければ存在すら許されなかったということだ。
売れないアイドルに対する風当たりは本当に冷たい。それは数字やビジネス的な判断のみならず、「アイドル」=「時代遅れ」というレッテルの貼られっぷりがひどかったこともある。とにかく「アイドル」という言葉自体が禁忌になっていた。それゆえ生み出された「ミュードル」や「ギャルズポップ」などという言葉の響きも虚しい。
この頃の印象があるから、「冬の時代」という言葉を使いたくなる。
こうした背景で生まれたのが「ガールポップ」なわけだが、それはまた別の機会に。


だがアイドルを希求する人々の心までもが消えたわけではない。だからこそ乙女塾があり、アイドル共和国があり、東京イエローページがあり、IDOL2があったりしたのだ。全部関東ローカルじゃないかって?うん、そうだよ。今となんにも変わってねえ。俺が事あるたびに県域免許爆発しろって言うのはこの頃の恨みがあるからだよ。NHKBSのアイドルオンステージってのもあるにはあったが。そのアイドルオンステージに準レギュラー並に出てたCoCoやQlairは94年に解散・活動停止。同じく準レギュラー扱いであり、事実上唯一の(メジャー)アイドルグループだったMelodyは97年に解散。メジャーシーンにアイドルが誰もいなくなったのだ。


アイドルの冬の時代は確実に深まっていき、しかも春が訪れる機会が全くなかった。本当になかった。もう未来永劫再びアイドルが日の目をみることはないと当時は本気で思ってた。
アイドルは死んだのだ、と。
だから、今でこそSPEEDはアイドル文脈で語られるフシがあるが、当時はSPEEDはアイドル呼ばわりすることは無かったはずだ(たとえアイドル的な売れ方であったとしても)。Say a Little Prayerがどれだけいい曲歌ってようと、佐々木ゆう子がどれだけ逸材であったとしても、「アイドル」という単語が使われることはなかった。


風向きが変わったのは、やはりモーニング娘。だろう。今のアイドルやアイドルファンに最も影響を与えたことは間違いない。
だが・・・当時を思い出してみると、モーニング娘。の登場をもってアイドル冬の時代の終焉と言い切れるかというと疑問が残る。
私個人の偽らざる感想を言えば、当時の−「LOVEマシーン」以前の−モーニング娘。は、“アイドルのフリをした何か”・・・アイドルでないものが、アイドル的手法アイドル的テイストを用いてるように見えたのだ。それでも、アイドルに飢え渇いていた人たちは飛びついた。アイドルを希求する人々の心までもが消えたわけではないし、せっかく降ってきた恵みの雨の「水質検査」をすることなど野暮以外の何者でも無い。なにせ次いつ巡り会えるかわからんのだから。実際問題、モーニング娘。に対してすら「アイドル」という単語は極めて限定的に使われてたように記憶している。
そしてその検証をする間もなく、モーニング娘。は「LOVEマシーン」の爆発的大ヒットにより、全国民に「アイドル」として認知されるようになった。それが99年の話。


今のアイドルに至る源流は「LOVEマシーン」から数年間のモーニング娘。(とハロプロ)に集約されていると思う。いや100%思ってるわけではないが、最大公約数的な答えだとは思う。
だから、アイドル冬の時代と言えば89年頃〜99年頃なのではないかなと考えている。


実は、おニャン子クラブについてのさまざまな考察の中には、「おニャン子がアイドルを壊した」とする見方は珍しくないが、80年代中盤時点ですでにアイドル自体が斜陽化してたがそれをブームで延命したのがおニャン子だとする見方もある。
だから、「LOVEマシーン」から数年間で巻き起こったムーブメントが終わりそうな頃に(必然か偶然かさておき)AKB48が登場し、やはり延命してるのではないか、と考えることがある。
その場合、この「熱狂」が終わったあとにはやはり「冬の時代」が待っているのではないかと想像してしまう。嗚呼、盛者必衰。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ

決して平家と平家をかけているわけではない(えっ