今となっては誰も信じてくれないかもしれませんが、私がAKB48に出会った時は、握手会の類いわゆる“接触”は事実上無く、ただ、彼女らのステージにのみ心酔してました。メンバーにとっても、自分をアピールする場所が公演しか無いということでもあり、それゆえに、最初の約2ヶ月は奇跡的ともいえる状態となり、シーンに多大なインパクトを与えることになったのでしょう。
誤解を恐れずに言えば、AKB48登場前夜の2005年当時は、アイドル氷河期寸前でした。
ハロプロがアリーナや武道館でコンサートを行う一方で、それ以外のアイドルと呼べる存在は、少なくとも商業的には成功とは言えない、一強皆弱状態でした。
'00年代前半、メジャーレーベルをはじめ素晴らしいアイドルたちがたくさんいましたが、多くはマネジメント側の失策により、活動縮小や終了を余儀なくされてました。
PerfumeやNegiccoを輩出した第一次地方アイドルブームも、東京の波に影響されやすい地方では、定着するに至りませんでした。Negiccoの“苦節十年”がそれを物語っています。
ライヴハウスで活動する“アイドル”においては、カラオケ大会に毛も生えてないようなステージが平気で行われていました。また主催者も、客が入ってるんだからいいだろうとそれを看過してました。それらの客はステージより物販握手会を目当てに通っており、またそうした客だからこそステージの内容は堕落し、そんなステージだから接触目当ての客しか来ないという完全な悪循環に陥っていました。
そうした状況の中、登場したのがAKB48でした。
AKB48のためだけに用意された専用劇場。全曲オリジナル、衣装替えあり特効あり、精緻に構成された演出のフルスペックのコンサート。しかも物販握手会も無いから、アイドルとファンの適切な距離感を維持することができる。彼女らにとっても、我々にとっても、こんな素晴らしい環境は無い、と思いました。そして、右肩上がりに増える客に、接触が無くてもきちんと素晴らしいステージを行えばファンは集まるんだと確信しました。
それから7年。テレビや雑誌でAKB48を見ない日はありません。本当にありません。うざがられるほどに。
一方、劇場公演はないがしろにされ、満足にレッスンを行ってないメンバーが公演を行なっています。風のうわさでは、今やチームの体をなしていないと聞いています。それでいて握手会は、メンバーの体調やスケジュールを犠牲にしても強行され続けています。結果、“釣り”などと呼ばれる習慣が横行し、メンバーの人気を左右するようになっています。それがアイドルの仕事なのかと感じなくもないです。
そして、AKB48の商業的成功に触発された劣化コピーが大量に発生し、お湯かけて3分でできたようなアイドルが、あちこちでブッパンを行い、接触目当ての客が同じCDを何枚も買うことで、シーンの商業的隆盛を支えるような状況になってしまいました。この7年間はなんだったのか、AKB48とはなんだったのか、という思いが頭をよぎります。
もうすぐ、AKB48の東京ドーム公演が行われます。今や数えるほどになってしまった、空っぽの劇場を知るメンバーにとっては、とても言葉では言い表せない感慨があることと想像します。
今、私にできることは、今後の彼女らの個人としての飛躍と、その彼女らを目指してアイドルになった多くの女の子が幸せになることを願うことだけです。