遅ればせながら、津田大介氏のメルマガを購読することにした。内容に興味があったのはもちろんだが、津田さんの“新しいメディアを作りたい”という活動を応援したいと思ったからだ。
さっそく最新号が届いたのだが、そこに掲載されていた、ドワンゴの会長川上氏の発言に、目を疑った。
有料メルマガの内容を引用するのは気が引けるが、津田さんのメルマガは、記事の引用や転載については常識の範囲内で自由に行なって良いとのことなので、その判断に感謝し、引用させていただく。
以下、メルマガ『津田大介の「メディアの現場」vol.20』の『ドワンゴ川上会長が語る「2012年のIT業界注目トピック」(後編)』より引用。
津田:インターネットが登場してきた時、多様な言論、多様な意見が交わされることによって、議論自体が高度化していくだろうという夢が語られたこともありました。しかし現状では、インターネット上の議論はすごく悪い方向に行っているということでしょうか?
川上:だって自分と意見が違う奴を炙り出して、叩いて、発言させなくするってことを組織的にやっているわけですよね。それって議論の多様化どころか、ある特定の人たちが「自分たちとは違う意見の存在は許さない」としてネットにおける統一見解を作ろうとしているようなものじゃないですか。
津田:2006年頃、ボクシングの亀田興毅選手がネットなんかで嫌われていた時期ありましたよね。当時、モーグルの上村愛子選手がブログに「亀田興毅くんの世界タイトルマッチに興奮です(>_<) よかったねー! がんばったねー
(T_T)」[*3] と書いたら、亀田を応援するのか、ということでブログに1500件以上もの批判コメントが寄せられ、大炎上するという事件がありました。[*4]別に個人がスポーツを見てどんな感情を持とうと自由じゃないですか。でも、「亀田は叩くものだ」という空気に支配されてブログのコメント欄で上村愛子を叩く。あの時「ネットも来るとこまで来たな」と恐ろしく思いました。川上さんはこういう問題を解決するアイデアを何かお持ちですか?
川上:そういう意見が社会的に影響を及ぼすようになったら、規制すべきだと思います。中国って多分、そこらへんについてはネットの先進国だと思うんですよ。国として規制しているから。どこかに悪影響が出るかたちで規制するとなったら、それは良くないだろうけど、「国として規制する」という方針自体は正しいと思います。
この流れで、「国による言論の規制が正しい」などという話になるとは思わなかった。
しかも発言の主は、ネットサービス事業者である。
ビジネスチャンスも、社会的責務も放棄してるのだ。
川上:ネットの言論自体には、ある程度の自浄作用が必要なんですよ。アホなこと言ってれば「おまえはアホだ」と吊るし上げられなきゃいけない。だけど現状では、どちらかというとマトモなことを言う人が吊るし上げられています。
川上:アホなことを書く人は、どの時代、どの世界にもいるんだと思うんですよ。日本のネットにも当然いる。だけどネットユーザーの平均レベルの高さでいったら、日本は世界でもダントツだろうと思うんですよね。問題は、“ネッ
トで活動している知識人”のレベルの低さです。彼らのレベルがもっと上がらないと駄目ですよね。
何がアホで何がマトモかとか、知識が高いとか低いとか。そんなこと、誰がどうやって決めるというのだ。
マトモなことを言う人が吊るし上げられたとしたら、今度は吊るし上げた奴が非難されるのがネットである。それこそが自浄作用だ。
知識が高いとか低いとかというのは、言い換えれば有用かどうかということだが、それもまた、ネットの支持/不支持によってまとまっていくのではないか。また、まとまらないとしても、意見が割れるのも、またそれもネットなのではないか。
それを、「国として規制する」などという悪手の極みみたいな手法で解決を図るなど、今こうして引用してても、頭がどうかなってしまいそうだ。こっちの頭がおかしくなったのではないかと思うほどだ。
なるほど、ネットにはひどい言葉があふれている。心無い発言を見ない日はないほどだ。だが、目障りだから規制しろ、というのは、言葉狩りではないのか。臭いものにフタをしてして、嫌なものは見なかったことにする。そういう姿勢がどういう結果になるか、我々日本人は311以降、まざまざと見せつけられてきたのではなかったか。
自由には責任が伴うとしばしば指摘されるが、今だってネット上の発言はすべて首根っこを押さえられている。犯行予告をすれば捕まってしまう。それ以上の抑止力が必要だろうか。
ブログのコメント欄は閉じる自由がある。例えば、このブログのコメントは現在承認制だが、確認のために一度は目を通さなければならない。嫌がらせをすることは可能だが、それがつらくなったらコメント欄ごと無くすだろう。それで何の問題がある。
そもそもインターネットと言うかワールドワイドウェブには、ハイパーリンク(ハイパーテキスト)という、意見をやり取りする仕組みがある。また、ゆるやかでソーシャルなフィルタリングを行うTumblrのようなサービスだってある(津田さんがこれらのことを知らないわけはないのだが……話相手に合わせたのだろうか?)。
そうした工夫もせず、お上に丸投げしてしまうとは、思考停止ではないのか。
ネットサービス事業者からこういう発言が出てくることは実に恐ろしく、そして情けない。
もちろん、表現の自由も行き過ぎれば暴力になる。だが、表現の自由は責任を課すことで制限すべきであって、発言そのものを元から封じるというのは、一番あってはならないことだ。なぜならばそれは「この発言が不愉快だ!」という権利すら奪ってしまうものだからだ。
国家など、一握りの人間が、価値観や表現の善悪の定めることは危険だ、ということは、今あらためて言わなければならないのだろうか。声が届かないなら、届くまで叫ばなければならないのだろうか。
私の言葉は、アホで、知識が低くて、ネット上に存在することすら許されないのだろうか。