SKiCCO REPORT

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“アイドル”が“アーティスト”になりたがるのはアイドル版“アタリショック”の予兆か


20世紀から脈々と続く謎。なぜ“アイドル”は“アーティスト”になりたがるのか。
旧世紀からの話題を21世紀にもなってする事になるとは思いませんでした。とはいえ、現状において、こういう話が再度出てくるというのは、昨今のアイドルシーンを見えばやむを得なかったのではないか、とは感じています。


そもそもが、“アイドル”も“アーティスト”も、言葉の定義は無きに等しいです。辞書的に言えば、アイドルは偶像で、アーティストは芸術家・演奏家、のようです。ですが、芸能シーンにおいては、アーティストと呼ばれる人も偶像化されているし、アイドルが楽器を弾いたらアーティストと呼ばれるようになるでしょうか。そういう言葉の意味は、本件の主題ではないでしょう。


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私の経験上では、「アイドルに高スキルを望まない」というよりは、観る側も売る側も「高スキルなエンタメをアイドルと呼ばない、呼びたがらない」というような気がするんです

いわゆる「アイドル・アーティスト論争」(こんなのが21世紀にもまだ続いてるとは想像もしませんでしたが)においては、アイドル=レベルの低いもの、という前提で話されているように感じます。


21世紀の、とりわけテン年代においては、広義のアイドルとかアーティストとかにあてはまらない活動してきたアイドルが登場してきました。
それは、元々アイドルとは何にでもなれる、という間口の広さもありましょう。さらに2014年前後の時点においては、アイドルと冠したほうがマスコミの注目も集まりやすい、という現実的な判断もあるでしょう。そして、そうしたマスコミの注目を集めた時に、アイドルと言っておいたほうが、パフォーマンスの稚拙さには目をつぶってもらえる。そうした発想が、「アイドルなんて名乗ればだれでもなれる」というアイドル粗製乱造という現在の状況を招いたのです。


その結果、歌やダンスと言ったステージ上のクオリティにこだわりを持ってきたグループが、『名乗ればなれるようなアイドル』と一緒の尺度で比べられても困る、と考えるのは、想像に難くないです。アイドルと名乗れば、客は、ペンライト振ったり、ライヴでジャージャーいったりしてもいいんだな、と受け止めてしまう。しかし広義のアイドルにおいてはそれは全てではない。


となれば、現行アイドルマスコミに受けの良い、さらに言えば慣用句としてわかりやすい狭義のアイドルという単語が流通してしまえば、「いやうちのアイドルはそういう芸風じゃないしそれ期待されても困るんすけど」というアイドル(運営)が出てくるのは必然でしょう。
少なくとも21世紀の「アーティスト宣言」とはつまり、「アイドルみたいに、金さえ払えばいくらでも握手できるとか、おっぱいとかケツとか脚とかだけをウリにしたりとか、テレビバラエティで粉かぶったりとか、ジャージャー言いやすい楽曲とか、そういうの期待されても困るんすよ、お客さんにもマスコミにも」という意味ではないかと推測しています。ファンの期待と運営の齟齬というのは過去にいくつもの悲しい歴史を繰り返してきたので、21世紀のアーティスト宣言が、こうした忌まわしい記憶を払拭してくれることを願わずにはいられません。


「アイドル・アーティスト論争」なんてのがまだ続いている背景には、いつまでたっても自力で自分の好きなものを発見できない人が多すぎるということにつきます。今はアイドルと名づけたほうがメディアに出やすいという状況であり、なんでもかんでもアイドルと名づけて出てきます。結果、テレビや雑誌でアイドルと紹介されるから、アーティストとして紹介されるから、という、誰が貼ったかわからないレッテルに左右される人の多くは、アイドルかアーティストかという、何の意味もない二元論にとらわれてしまう。
それは、アイドル=「金さえ払えばいくらでも握手できるとか、おっぱいとかケツとか脚とかだけをウリにしたりとか、テレビバラエティで粉かぶったりとか、ジャージャー言いやすい楽曲とか」を期待され、そうでないものはアイドルとは呼びづらい、わざわざレベルの低いものを選んでアイドルと呼んでいると言う偏ったモノの見方が、こうした現状を招いたのです。


これはアイドルファンの敗北です。狭義のアイドルブームとなってからおよそ5年、その間さまざまなアイドルが登場して変革を起こそうをしてたのにもかかわらず、アイドルファンの消費行動はまったくと言っていいほど変わることなく、結局20世紀に逆戻りする状態すら観察できるのが、2015年現在のアイドルシーンです。


このような、粗製乱造が闊歩する世界の行く先は、崩壊です。
かつてゲーム業界では「アタリショック」と呼ばれる現象がありました。その昔アメリカでアタリ社の家庭用ゲーム機が大ヒットしました。それに乗じてソフトメーカーがアタリ社用ゲームソフトが大量に発売されましたが、その多くは粗製乱造と呼ばれクオリティ的に消費者を失望させ、やがてアタリ社及び家庭用ゲーム市場全体を崩壊させました。


そういう粗製乱造と一線をひくため、今現時点でわかりやすいワードとして「アーティスト宣言」がなされたのであれば、過去の「アーティスト病」とは違った道を歩んでいけるかもしれません。
同時に、粗製乱造アイドルが市場にあふれた結果、結果的に「アイドルは注目も集めないし儲かりもしない」という認知がなされ、アイドルという呼び名が再び忌避される状況になるなら、またアイドル冬の時代が来るでしょう。


とはいえ、“アーティスト”って呼び名だけはなんとかならんかったのかとは思います。有史以来、アイドルがアーティストという呼び名にこだわって成功した人は寡聞にして存じませんので。そういやラ・ムーもMINAKO with WILD CATSもアイドルブーム末期でしたね。あの頃はバンドブームの嵐吹き荒れてたので、生き残りを賭けた選択だったとは思いますが。


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