SKiCCO REPORT

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東京女子流の詞世界

以前、アイドルポップスの歌詞を満喫してみようというエントリをアップしたが、今回は特に東京女子流の歌詞に注目してみたい。


歌は国境を超えるとしばしば言われるが、日本に生まれ育ち日本語を母国語とする私であっても英語の曲に心揺さぶられることがある。言わば、歌詞というのは、聴く側のイマジネーションをかきたてるもので、阻害するものになっては本末転倒だと言うことではないだろうか。
だが最近は、まるで教科書ガイドのように手取り足取り説明文みたいな歌詞がヒットチャートを賑わせている。さらに屋上屋と言うか蛇足と言うか、メディアで制作側が、この歌はこれこれこういう意味なんですよと“種明かし”をする傾向もある。歌詞については、そもそもが意味を持つ言葉だけに、そうなりがちな印象を受ける。イマジネーションを限定しないで欲しいと言いたい。


訥言敏行とも言える東京女子流のスタッフも、最近はコメントを発するようになってきた。だが、そこでわかったのは、非常に真摯に楽曲に向き合ってるということだった。いろいろなメディアで目にするのは、“大人になっても歌える曲”という意味のことだ。これはアイドル楽曲においては非常に大事な事であるはずだが、なかなか実践してる曲にめぐりあえない。それだけ難しいということなのだろう。一方で、アイドル楽曲は究極のワンオフ、カスタムメード、その時代その一瞬彼女にしか歌えない曲こそ尊いという価値観もある。一見相反するこの二つの要素を、高い次元で両立してるのが、東京女子流なのだ。


デビューシングル「キラリ☆」から、“大人になっても歌える曲”は貫かれている。

解散や引退の最後の時に歌えるというのが、アイドルのデビュー曲の理想のひとつだと考える。「キラリ☆」には、別れは出会いのはじまりという人生そのものを歌ってるようにも受け取れる。物事がはじまって、そして生きてる限り続いていく、何歳になっても。だから、デビュー曲に極めてふさわしく同時にいつまでも歌える歌詞なのだ。

そうさ 僕達は 迷いながら 大人になって
大切な この瞬間を 胸の奥に ぎゅっと押し込んでしまうよ

(「キラリ☆」)
これは、未来を見つめる少女の歌とも、大人が若き日を振り返ったつぶやきともとれる。さらに言えば、そうした人たちを愛おしく思う気持ちも込められている。想いをいくつも重ねられる歌というのは、たくさんの人の希望を託されるアイドルにこそふさわしく、必要だと思う。


きっと届くと信じてる ぜったい大丈夫!
君が描く夢なら 変わらずに、ずっとそこにある
一番近い場所で 応援してるから
この次会う時は 迷わずちゃんと言えるはず

(「きっと、忘れない、、、」)
聴き手はこれを応援歌として励まされる側でもいいし、アイドルを思う気持ちを歌ってるととらえてもよいのだ。もちろん普遍的な、どんな時代にもある、少年少女の青春の一幕なのかもしれない。


胸の奥で叫んでも 
聞こえない 届かない
早く気づいてよ
壊れそうだよ
ホントの ワタシ見つけて

(「鼓動の秘密」)
人の心がままならないというのは、歳をとるとしみじみ感じるものだが、若い頃は若さゆえのもどかさしさもある。東京女子流が歌う世界は、性別も世代も超えることができるのだ。


先日リリースされた2ndアルバム「Limited addiction」はもう名盤という評判しか聞かないレベルだが、“オトナ路線”と言われつつも、性別や世代を超えて歌い続けられる、思われ続けられる歌詞は引き継がれている。そして、“アイドルとしての東京女子流”の歌であることもほのめかされていて、幾重にも重ねられた想いが聴くたびに伝わってくるようだ。


大人になんかなりたくない
このままで二人
繋いだ手は離さないよね

でもこのままじゃいられない
これからの二人
いつかは思い出になるよね

(「W.M.A.D」)


先日Twitterで「Liar」は失意のアイドルファンの歌ではないかという感想を目にして、聴き手にそういう経験があればそう受け取れるなあと思いを巡らせた。タイトルも「Liar」だしな。

あぁ なんでキミに
恋してしまったんだろう
約束も 秘密さえも
急に 音もなく 砕け散っていくだけ

(「Liar」)


堅苦しい話ばかりしてしまったが、アイドルにはつきものの“遊びごころ”も忘れてない。
1stアルバム収録の「Attack Hyper Beat POP」と、2ndアルバム収録の「Sparkle」は対になっているようで、合わせて聴くとより面白い。

鼓動 速くなる 慌てないで
限界を遥かに飛び越して

(「Attack Hyper Beat POP」)

体裁 気にするより
波風 立ててやれ
限界 超えたならもう
勝ち負けなんかじゃない
人間だもの 当たり前!

(「Sparkle」)
他にも、急に丁寧語を散りばめたり、意味的に似たようなフレーズががかぶせられてたり(「受け止めてよ まっすぐ届けたい 愛」「お届けした 渾身の一撃は どうですか?」/「ごめんなさい」「お詫びします」)ニヤリとさせられる。


あと、これは今挙げた以外の曲に言えることだが、メロディの節回しと歌詞の区切りがきちんと揃ってる(専門的な言い回しがあるのかもしれないが)ので聴いてて心地良いのだ。最近では軽視されがちな点だが、そういうところをきちんとするあたりに丁寧さを感じる。


これまで述べてきたことは、あくまで私の感じ方であって、歌詞や楽曲の受け止め方は人の数だけあっていいし、作家や演者の意図と違っていたとしてもそこは受け取る側の自由だと思う。私は多面性のある曲のほうが好きだし、他の人の感想を聴くのも楽しい。
歌詞とメロディの組み合わせの妙はなかなか言葉だけでは伝えられない部分も多いというか、だからこそ歌は楽しいのだが、こうした見方も可能だということで、興味を持っていただけるとうれしい。



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