SKiCCO REPORT

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旧来メディアに蔓延する「アイドルなんか頭の足りない女のコがおっさんに騙されて半裸の衣装でお遊戯してるだけだろ」という概念

昨今、テレビ、雑誌など、アイドルメディア以外のマスメディアで、アイドルが肯定的に取り上げられる機会は増えてきた。それ自体は喜ばしいことである。


とはいえ、その取り上げられ方に違和感が無いわけではない。


例えば、「アイドルらしからぬ」「アイドルの枠を超えた」などの文言が、褒め言葉として使われることである。
近年は「アイドル」というフレーズへのアレルギーもだいぶ収まってるように感じる。だからこそ、ハロプロの洗礼を受け、一生アイドルやりたいと公言する柏木由紀のようなコが、実際にAKB48としてアイドルとなり、多くのアイドルを目指す女の子たちに影響を与えるという“良循環”も生まれる。


だが、アイドルを扱うメディアには、そういった時代の流れに取り残されているように感じる表現が散見される。


「注目すべきアイドル」としてメディアで取り上げるときに、ほとんどお決まりのように出てくる「アイドルらしからぬ」「アイドルの枠を超えた」的なフレーズ。
これらの言葉はすなわち、「アイドルなんか頭の足りない女のコがおっさんに騙されて半裸の衣装でお遊戯してるだけだろ」という概念を前提にしているからこそ出てくるのだ。
アイドルの素晴らしさ、楽しさを知っていれば、このような言葉で魅力をアピールしようとは思わないだろう。


例えば、プログレッシブロックヘヴィメタルにおいて、そのジャンルで新しい取り組みに挑戦したり、思いがけない方向に道を切り開いた場合でも、「取り込んだ」とか「融合」といった表現が使われる。「メタルの枠を超えた」等のフレーズは寡聞にして存ぜぬ(世界中探せばどっかの誰かは使ってるかもしれないが)。仮に「もはやメタルではない」などと言おうものなら、じゃあなんだよという話だ。元よりメタルキッズは、ヘヴィメタルこそが神が与えた至高の音楽だと信じて疑わないのだから、メタルでなければメタル以下に決まっている。そんな言葉がアピールになるわけがない。


そう、「アイドルらしからぬ」「アイドルの枠を超えた」あるいは「もはやアイドルではない」(これも最近耳にするな)などの言葉を褒め言葉、売り文句として使うのは、アイドルが他のものより下、取るに足らぬくだらぬもの、という考えあってこそなのだ。
もちろん、人の価値観はそれぞれだ。アイドルなどいなくても生きていけるし、世の中的には価値を認めない人のほうが多数だろう。そんなことはあたりまえだ。
だが、当のアイドルを売り出す側が、アイドルを注目すべきと取り上げるメディアが、そのような言葉を使うというのはどういうことなのだ。売り出す者が、紹介する者が「これはすばらしいですよ」って胸を張れないでどうする。


メディアに取り上げられた所で、アイドルをアイドルじゃございませんよって見せるわけだから、あちこち注文をつけた挙句に、ろくでもない状態をメディアで広められてしまう。そりゃそうだ。その手のメディアにとっては、アイドルは「頭の足りない女のコがおっさんに騙されて半裸の衣装でお遊戯してる」ものであり、番組も記事もそういう前提で作られる。アイドルの素晴らしいとも思ってもないし、おそらく一生気づかないだろう。


そんなメディアへの「露出」を、ありがたがることなどない。彼らはハナっから、アイドルの素晴らしさを知る気もないのだから。


知識も見識もない、ネットでかいつまんだ事をエラそうに語る「アイドル評論家」どもや、テレビや雑誌のいわゆる“アイドル特集”によって使われる「アイドルらしからぬ」「アイドルの枠を超えた」「もはやアイドルではない」といったのフレーズには、「アイドルなんか頭の足りない女のコがおっさんに騙されて半裸の衣装でお遊戯してるだけ」という概念が隠れてる。そのような連中に耳を貸してはいけないし、ましてありがたがってご意見うかがうことなどない。


アイドルを好きでもない連中に、これ以上アイドルを蹂躙させないためにも、我々は、目先の媒体露出やタイアップに一喜一憂せず、自分の目と耳と、自分がアイドルを好きだという気持ちを信じ、応援することだ。
アイドルに魅了された我々一人ひとりこそが、最良の「伝道師」なのだから。