念のため先に述べておくが、歌詞や楽曲をどのように楽しむか(楽しまないか)は聴く側が好きにすればいいのであって、誰かに指図や強制をされたり、正解があるものではない。作家や演者の意図とは異なっていても、それは受け取った側の内面世界の話なので、誰に咎められるものではない。
だが最近では、いわゆる送り手側の情報発信が活発なこともあり、とかく正解を求められがちであるような気がしている。また聴く側も、作家がこう言ったからこういう意味、と安易に正解を求められ、特に歌詞については、そもそもが意味を持つ言葉だけに、そうなりがちな印象を受ける。
しかし、聴き手が100人いたら100通りの受け取り方があってもいいはずだ。
そこで、というわけではないが、最近のアイドル楽曲について、私なりの楽しみ方受け取り方を、歌詞に焦点を当てて書いていきたい。
アイドル楽曲の歌詞についてはいくつかのパターンに分類することが出来る。究極的には“なんでもあり”なのがアイドルだと思うし、どんな曲でもアイドルポップスにしてしまうのがアイドルの力だと思う。とはいえ、やはり傾向としてあるいは歴史的に、アイドルっぽい曲、アイドルらしい曲、というのは、存在する。
アイドル楽曲としてもっともイメージされやすいのは「10代の恋の歌」だろう。ざっくりくくりすぎたので、それ言ったら全部そうじゃねえか?という声もあるかもしれないがそうとも言い切れない。
アイドルと言えば恋愛ソングなのだろうが
最近の曲で気になるのは、年齢を問わない恋愛ソング、ではないかと感じてる。限りなくJ-POPに近い。普遍的な歌を作ろうとすれば必然的にそうなるのだが、ようは、今だけじゃなく、これから何年も歌っていける曲、ということだ。
だがそれだと「普通にいい曲」になってしまい(もちろん普通にいい曲だってウェルカムだし必要だが)、アイドルが歌うことの必然性が薄れてしまう。アイドルならではの傾向として、幾重にも意味を重ねる中に、アイドル自身のことを含めてしまう手法がある。
真野恵里菜「My Days for You」(作詞:NOBE)
真野恵里菜/歌詞:My Days for You/うたまっぷ歌詞無料検索
恋人同士の感謝の気持ちという体をとって、アイドル本人のファンへの感謝の気持ちを歌ってる。アイドルとファンの関係を古典的な擬似恋愛ととらえれば当然の手法とも言えるが、それでは「アイドルとファン」の関係を明示できなくなってしまう。アイドルそしてファンという関係を歌うのにそれとわかる固有名詞を一切使用せずに楽曲内のストーリーは独立して完成させている高度な暗喩、これまた最近では珍しくなった。
高度な暗喩を使った年齢を問わない恋愛ソングと言えば、東京女子流には特にそういう曲が多い。
東京女子流「キラリ☆」(作詞:黒須チヒロ)
キラリ☆ - 東京女子流 - 歌詞 : 歌ネット
これも、初恋を歌ったようにも聴けるし、そうじゃない普遍的な想いを歌ったようにも聴こえる。しかも、デビュー曲にして、出会いと別れの両方を歌っている。幾重にも意味を重ねられる歌詞というのはそれだけ聴く人を選ばないということでもある。それが、年齢非公開の東京女子流が歌うことで一層説得力を持つ。
このように、アイドルならでは味わいと普遍的な魅力を両立させた歌詞がこのご時世に存在することはとても喜ばしい。
本来歌謡曲ヒット曲の歌詞とはだいたいそういうものだったはずだが、最近ではむしろ貴重になってしまった。まあヒット曲という概念自体が形骸化してるのだけれども。
アイドルならではの歌詞とは
アイドルでなければ歌えない歌詞、というのは確実にあって、それはアイドルの存在理由でもある。
先に述べたようなアイドル自身を歌うような内容というのは一番わかりやすいだろう。自己紹介ソングというのは昔からいくらでもあったと思うが、本当に自己紹介をしてるような歌詞というのはもはやリリックとは呼べないただの説明文と言わざるを得ない。
歌詞というのは、もっと豊かなものではないだろうか。
ももいろクローバー「未来へススメ!」(作詞:yozuca*)
ももいろクローバー/歌詞:未来へススメ!/うたまっぷ歌詞無料検索
個人的な話になるが、ももクロちゃんがこの曲を売り歩いた(予約歩いた?)頃、私は新潟で引きこもってた。だから当時のももクロちゃんを取り巻く状況だとか現場の空気とか、実際に彼女たちと同じ季節を生きた人たちの気持ちは想像するしか無い。とはいえ、ここで歌われている叙情はまさしく当時を反映したものであろうと推察するし、当時を知らない私がそう想いを馳せることが出来るほどの力が、この歌にはある。楽曲が書かれたのは当然現場が始まる前のはずだが、これは奇跡なのだろうか。
ももいろクローバー「ピンキージョーンズ」(作詞:村野直球)
ももいろクローバー/歌詞:ピンキージョーンズ/うたまっぷ歌詞無料検索
「行くぜっ!怪盗少女」で注目を集めた後のシングルで、しかもその怪盗少女が極めてトリッキーでその評判が良かっただけに、次の一手は非常に難しいと思われたのだが、ももクロちゃんを連想させるキーワードをこれでもかと詰め込み、それでいて固有名詞は明示的には使わずCメロに忍び込ませるという粋を見せ、最後に天下を取りに行くぜと宣言する。あの当時のももクロちゃんにこれほどふさわしいフレーズはない。初めて聴いた時の震えは、このフレーズを耳にするたびに明確に思い出されるほどだ。
ももいろクローバー「Chai Maxx」(作詞:只野菜摘)
Chai Maxx ももいろクローバー 歌詞情報 - goo 音楽
そしてこちらは今年の曲。まだ今年なんだっけというくらいももクロちゃんは加速しててその勢いは全く衰えを見せない。その、これから駆け上がっていく勢いそのままのフレーズが、言葉遊びのような小気味いい響きと両立する。上っ面だけの作詞家もどきにはできない丁寧な仕事と、それを感じさせない、一点の曇もない明朗さ。アイドルらしくないようなフレーズが散りばめられているのに、これ以上ないほどにアイドルらしい歌詞になってる。それはもちろんももクロちゃんありきだし、だからこそなのだ。
幾重にも含みをもたせた歌詞は、その時代やあるいは現場の空気さえも内包してしまう。冷静に考えると、歌詞は必ず前もって書かれているのだからおかしな話なのだが、実際にそういうことが起こっている。それもまたアイドルという歌い手の力が成しうるのかもしれない。
なんでも歌えるのがアイドル
ここまで書いてきてなんだが、やっぱりなんでも歌えるのがアイドルであり、歌えばアイドルソングになってしまうのがアイドルの力だと思う。ようするにアイドルは自由なのだ。
制服向上委員会「うちまたブギー」(作詞:鈴之助)
風刺ソングのようでもあり、言葉遊びのようでもあり、意味不明でもある。ちなみにCDではミニコントが入ったりして意味不明さはさらに増す。TやSやHやCというのが何を意味するかを考えりのも一興というか、日本語でも英語でも意味が通るようになってて洒落てるなと思ったり。
あと最近だと気になってるのはTomato n'Pine(トマトゥンパイン、トマパイ)の歌詞が非常に自由だと思う。B'zとかミスチル並に自由。心は鳥よりもずっと自由!
最近の傾向
近年は自己啓発というか「頑張れば夢は叶う」的な歌が増えてるような気はする。数えたわけじゃないが、以前の応援ソングが「頑張るアナタ(=聴き手)を応援」する歌詞だったのが、「ワタシ頑張ってアイドルになるって夢をかなえる!夢に向かってるワタシ美しい!」みたいになってるような。
それと、安易な自己紹介ソングみたいなのも目に付く。今回紹介したような暗喩も何もなく、ただ単語並べたというか説明文みたいなの。
ここではあえて楽曲は明示しないし、良し悪しも言わないが、そこまで行間がないと意味が限定されて、聴き手の広がりもないんじゃないかとは感じる。
アイドルソングの可能性は無限
つまるところ、アイドルソングのアイドルソングたるゆえんはそのスペシャリティだとは広く言われてきた。その歌い手専用の楽曲こそがアイドルソング、だと。しかし、そこにとどまらず、広く普遍的なことを歌えるのもまたアイドルだと思う。実際、今回紹介したように、それらを両立させた曲というのが増えてきて、非常に嬉しい。
しばしばメディア等で、「音楽的」に「優れている」ことを強調したい際に「アイドルの枠を超えた」云々と記載されるのを目にするが、実際は枠を広げた、という方が正しいと考える。
一時期のプロデューサーブームも落ち着いてきたし、今後もアイドルオリエンテッドで、かつ、良質な、長らく愛される歌が出てくることを期待したい。
※参考文献
C調アイドル大語解―アイドル用語の基礎知識 (宝島コレクション)
C調アイドル大語解―アイドル用語の基礎知識〈平成版〉 (宝島コレクション)