SKiCCO REPORT

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新しい日

KiraKira☆メロディ学園(通称キラメロ)っていうメンバーが何十人もいたグループがあってさ。表向き(笑)は声優育成プロジェクトで、雛野まよ(現・榊原ゆい)、門脇舞(現・門脇舞衣)、浅野真澄とかがここの出身だからそのスジの人は知ってるだろうし、当時もライブやれば100や200の動員は軽くあったんだけど。解散後、それぞれのメンバがそれぞれに活動しはじめたわけだけど。3月に解散してすぐ4月に単発ライブで活動しはじめたのが4人組がいて。それがのちのCutiePaiなんだけど。さすがに7年もやってるといろいろいろいろいろいろいろいろいろいろあって、今はオリメンはまゆちゃん一人だけになったんだけど。
たしかに最初のうちはキラメロのお客さんとかきてたからそれなりに動員はあったことは確かなんだけど。でも最初から(「CutiePai」って名前が決まったのは2回目のライブから)なにかしら自分たちで決めてやりたいって意思だけは感じてた。対バンじゃないから、始まってから終わるまで自分たちだけでお客さんを満足させなけりゃいけない。そのための工夫やこだわりみたいなのは伝わってきてた。グッズも手作りアイディアも進行も自分らで自分たちなりに。当時俺は「マニュファクチュア(家内制手工業)アイドル」って呼んでたっけ(笑)。当然最初の頃はオリジナル曲も無くて、やっぱカヴァーばっかで。1曲だけキラメロの曲を歌ってたりしたけど、それも最後に1曲だけ。当時の本人たちの心の中は俺には知る術もないけれど、「歌うんなら大切に歌って欲しい」ということは、俺は思ってた。
今振り返っても、あの頃のCuteiPaiは、‘来てくれたお客さんにどうやって喜んでもらって次も足を運んでもらうか’ということに、こだわって、工夫してたんだろうと思う。それは、‘キラメロ流れ’のお客さんがそれだけでいつまでも来てくれないという冷静な認識もふまえてのうえで。自分たちがキラメロ残党じゃなくてCutiePaiであるということを俺らに見せなくちゃこの先やっていけないって思ってたんじゃないだろうか。
そのCutiePai、7年もやってるといろいろいろいろいろいろいろいろいろいろあって、一時期は客一ケタとかざらだったけど(それでもいつも楽しんでもらおうという姿勢は無くさなかったけど)、今年ソフマップ(旧ヤマギワ)でマンスリーでCD発売イヴェントやってたのは、いつも使ってた40人の会場がすぐいっぱいになっちゃうってんで、とうとう定数が150人の会場になった。ここは以前も使ってた会場で、そんときゃ客が少ないからって会場半分くらいステージにして楽しませてくれてた。そういう工夫というのは今もずっと続いているんだろうな。
ちなみに初演のレポ(2001/4/21)と最近出てたAllAboutの記事(2007/10/29)


CutiePaiの事を考えるたびに「継続は力なり」という言葉を深くかみしめる。いさぎよく辞める決断もすごくエネルギーがいるけど、続けて行く事もやはりすごくエネルギーがいるよなと。どっちも‘変わり続けていくこと’なんだろうなあ。