SKiCCO REPORT

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未来はそんな悪くないよと歌っても現実からは逃れられない


音楽ジャーナリストの柴那典さんが、J-POPから読み取れる時代の空気が変わってきたという趣旨のブログをアップしています。


ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ - 日々の音色とことば:

「今はそれほど悪くない時代」。こういう言葉がアイドルの歌うポップソングに出てくるの、ほんの3〜4年前にはあんまりなかったと思う。

それが最近は、楽しさを歌う曲が多くなってきている、ということのようです。そしてそれは、デフレが解消し景気が回復したからだ、と。
どうなんでしょうね。


2011年3月、東日本大震災直前にリリースされた(歌詞が書かれたのはもちろんもっと前)SKE48の「バンザイVenus」って曲がありまして。

バンザイ Venus 大好きな人へ 当たって砕けろ片思い
勇気を出して気合を入れてどんどん近づいてみよう
バンザイ Venus 両手を挙げて なるようになれとつぶやく
これが青春だ 恋なんだ 失うものなんかねえ バンザイ!

どう見てもポジティブです。本当にありがとうございました。


あと2010年にはAKB48は「ヘビーローテーション」を出してるんですよ。

I want you!
I need you!
I love you!
君に会えて
ドンドン近づくその距離にMAXハイテンション

MAXハイテンションですってよ奥さん。


こういっちゃなんですが、時代の空気とか関係なくないですか?少なくともAKB48に関しては。ヘビロテにせよ恋チュンにせよ、いつの時代にも一定の需要があるカラオケ用能天気ソングなんじゃないでしょうか。氣志團の「One Night Carnival」(2001年)しかり、湘南乃風の「睡蓮花」(2007年)しかり、ゴールデンボンバーの「女々しくて」(2009年)しかり。

濡れたまんまでイッちゃってー!!!


モーニング娘。の「LOVEマシーン」もまさにそういう曲だったわけですが。

日本の未来は世界が羨む、ってフレーズは、なんとなくバブル期のジャンパンアズナンバーワン的な残り香も感じられたりしますが、この曲が出たのが1999年。まさに失われた10年というフレーズが使われ始めた頃で、明るい未来に就職希望したはずが失われた20年になるとか、さすがに誰も時代の空気感じられなかったですよね。そして訪れたのが“実感なき景気回復”で、大企業が過去最高益を更新しまくってる一方で、給与総額は下がり続け、自殺者は年3万人を突破し、若者は非正規雇用で糊口を凌ぐしかなく、その上リーマンショックで多くの働く人が使い捨てにされました。そうした混迷を打ち破ることを期待された民主党政権は、かえって絶望と混乱を招き、もう日本詰んでね?的なこれ以上ない閉塞感を味わう事になりました。


そこへ東日本大震災原発事故が起こりました。連日ショッキングな出来事が起こっていたはずなのに、私は東京にいたから被災もしてないし、身の回りに起きた変化といえば、スーパーからカップラーメンが消えたことくらいでした。それでも、それでも、いい大人なのに人生でこれまで体験したこともない不安と恐怖を感じました。もう今までのような生活はできない。もう震災前の日常は戻ってこない。原発事故は他人事じゃなかった。もう日本人は誰も(私も)知らないでは済まされない。これからどのような変化が起こるにせよ、我々は変わらなければならない。日本人は変わらなければならない。だけどやっぱり今までの日常が失われる事は怖かったのです。


そして、東京に住んでいる私の日常は、我ながら自分の愚鈍さがいやになるほどに徐々に戻ってきてる気になって。今でも多くの人が避難生活を送り、原発事故は何一つ収拾してないどころか3年経ってやっとはじまったばかりなのに、もう誰も節電とかなんとか言わなくなり、義援金の募集も耳にすることは少なくなり、復旧から復興へと掛け声ばかりはするものの、やることは原発再稼働だったりする。原発の是非は今ここで語りませんが、原発推進にせよ原発反対にせよやらなきゃいけないことはたくさんあって、そしてそれはほとんど目処もついていない状態です。
チェルノブイリの時は、RCサクセションが何言ってんだふざけんじゃねえ核などいらねえと歌い、ブルーハーツチェルノブイリには行きたくねえと歌ってたけど、いざ自分の国で原発事故が起こったら、斉藤和義が替え歌作ってYouTubeに上げるのが精一杯でした。

というようなことも、東京に住んでいると、日頃は全く意識しなくなります。天気予報の放射線量表示もいつのまにか無くなってしまいました。


柴那典さんは、こう書いています。

ポップミュージックの作り手って、時代の空気を先端で感じている“カナリア”のような存在だと僕は思っているわけです。作り手は敏感だから、時代のムードを肌で捉えて、誰よりも先に言葉にする。

だとするならば、不安から楽しさへではなく諦めへ、苦悩からハッピーではなく逃避へ、変わったのではないでしょうか。都合の悪いことは見なかったことにしてみんなでお祭り騒ぎしちまおうって。恋チュンとか。
とにかく、歌を聴いている時くらいは、現実から逃れたい。嫌なこと難しいことにはフタをしたい。今の日常が仮初めでもうまく言ってるのならば根本的な対策なんぞ取りたくない現状維持を再優先したい、と。最近見た映画で「現状を維持するためなら可能性さえ葬る、それが人間だ」というセリフがあったんですが、まさしくそんな感じです。
少子高齢化は進み、年金制度は事実上破綻し、人口が減り始めて働き手も納税者も減り続ける。このままじゃ日本はダメになってしまう。でも今がいいならそれでいいじゃないか!なんか景気良くなってるらしいし!現状を変更するのは大変だしそんなことしたくない!というのが、時代のムードではないのかと感じます。


柴さんも指摘しているMr.Childrenのアルバム「[(an imitation) blood orange]」(2012年)収録の「hypnosis」にこういう歌詞があります。

すべてが思い通りにならぬことくらいは
知っているつもり でもすんなり 受け入れられもしないから
不安に追いつかれないよう 願いを今 遠くへ遠くへと
今日も見果てぬ夢が 僕をまた弄んで
暗いトンネルの向こうに 光をちらつかす
叶うなら このまま夢のまま
もう現実から見捨てられても かまわないさ

叶うなら このまま夢のまんま
もう現実に引き返せなくたっていい
いつか新しい自分にまた出会えるまで
そうさ終わらぬ夢のその先に
僕は手を伸ばす


この現実がもうどうしょもないなら、諦めて、永遠の眠りについて夢の中にだけ生きていたい。そう思う事を誰も責めれれないほどに、我々の現実は過酷です。それでもすんなり受け入れられないから、トンネルの向こうに光があるならば手を伸ばしたい、これこそ、現代を覆う空気そのもののように思えます。
だけどそんな厳しい現実に24時間365日全力で向き合っていたらストレスで死に追いやられてしまう。だからポップミュージックは、ひと時だけでもそれを忘れさせるような歌が支持されるのではないでしょうか。恋チュンとか。


私がずっと前から不思議に思っているのは、終戦直後の焼け野原で皆が食うや食わずの時代に、なぜ「リンゴの唄」がヒットしたのかということです。

やはり、明るい歌を聴くことで、過酷な現実と向き合う心を、わずかでも癒したかったのではと想像します。
戦争だろうが、震災だろうが、原発事故だろうが、生き残ってしまった我々は、たとえわずかな希望しか無くても現実に向き合わざるを得ません。歌は、そういう人たちの力になると信じたいです。


消えてしまった星の分まで私達は生きていくの


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