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SKiCCO REPORT

ライターやってます。アイドル・ガールズエンタテインメントについて書いていきます。お仕事のご依頼は[skiccoあっとgmailどっとcom]まで。お待ちしております。

伊達杏子はボーカロイドの夢を見るか

昔から今にいたるまで、アイドルはしばしば偶像と訳されます、というか言葉的にはそうなんですけど。だからアイドルなんてのは実在しない虚構であると考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。


フィクションでは、「メガゾーン23」の時祭イヴや「マクロスプラス」のシャロン・アップルのように、実在しないアイドルとそれに魅了される大衆が描かれたりしています。「機動戦士ガンダムF91」や「機動戦士Vガンダム」では、一人の人間を女王という“アイドル”にしようとする描写があります。「機動戦士ガンダムF91」では「大衆というものは絶えずアイドルを要求するものだ」というセリフもありました。


さて、人は実在しない“アイドル”を愛せるのでしょうか。あるいは、アイドルとは実在する必要があるのでしょうか。
それに対し私は、アイドルは実在してこそアイドルであると考えてきました。生まれてから30年近くを新潟の中都市で過ごしてた私にとって、アイドルは確かにブラウン管の向こうの存在だけれど、しかしこの世のどこか(たぶん東京)には確実に生きているのだ、と。
1990年代にアイドルがマスメディアから姿を消した、いわゆるアイドル冬の時代がありました。しかし、それでもアイドルたちは存在してました。マスメディアに依らない、ただアイドルがアイドルとして存在する世界がありました。私はそれを確かめに度々東京へ通い、そして一度しか無い人生で悔いが残らないように、上京することにしたのです。アイドルの存在を感じるために。
しかし皮肉というかなんというか、私が上京するのと入れ違うように'90年代末からアイドルは再びメディアに登場するようになりました。さらにインターネットの普及で地域格差は多少なりとも改善され、そして現在のように、全国各地に無数のアイドルが出現するに至りました。
もはやアイドルが実在するのしないのという考えは無意味に思えるほど、アイドルは“手の届く存在”になりました。首都圏にいたっては、客の数とアイドルの数のどっちが多いのかわからなくなるレベルです。


それでも、やはり私は気になっているのです。人は実在しない“アイドル”を愛せるのでしょうか。あるいは、アイドルとは実在する必要があるのか、と。心のどこかでずっと気になってた事を、この記事がきっかけで再度考えるようになりました。
「売れる」って正義だ、そしてわたしは愛でる対象に何を求めてるのか、Perfumeが女神になった東京ドームで考えた - インターネットもぐもぐ

それから、最近ずっと「アイドルは実体がなくたって変わらず愛でられるんじゃないか」ってことを考えていたのでこのタイミングでPerfumeを見られてよかった(便宜上この言葉を使うために彼女たちがアイドルかどうかに関する神学論争は割愛します)。「今あそこで踊っているように見える彼女たちが本当はホログラムだったり透明スクリーンに投影されてたりだとしても、自分は客としてこうやって体を揺らしていられるだろうな、どっちでもいいかもしれない」と何度も思った。「実体がなくたって変わらず愛でられる」1つの形が初音ミクなわけだけど、初音ミクは存在というより概念だから、もう少し違うところからもこの問いを考えたいなあと思っているのでした。

“今あそこで踊っているように見える彼女たちが本当はホログラムだったり透明スクリーンに投影されてたり”しても、客席の我々には確認する方法がないのです。映画やゲームで実写と見分けがつかないようなCGが多用されているのを見ると、もう時代は時祭イヴやシャロン・アップルを追い抜いているのではないかとさえ考えたりもします。


ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、私はAKB48が大好きでした……いや、過去形にしていいのかどうかは今も逡巡しています。それほど私の人生においてAKB48の影響は、存在は、大きいのです。そのAKB48……ガラ空きの劇場の頃から300回以上観てきたAKB48を、NHKホールという大きなステージで見た時、あまりに遠かったのです。そして思ったのです。これは、人間の知覚の限界を超えているのではないか、と。実際は、ステージに集中していれば、どのメンバーがどこにいるかもわかったし、公演が終わって最後の最後に退場する時に、戸島花さんが深々とおじぎをしたのを今でも覚えています。その意味では、知覚の限界を超えてはいなかったのでしょう。
ですが、それから数年間たった今、数十人数百人しかファンがいなかったようなアイドルたちがやがて人気を得て武道館でライヴを行うようになって、あのステージに立っている彼女たちは、俺の知っている彼女たちなのだろうかという疑問を、完全に打ち消すことはまだできていません。


そして、最初の問いに戻るのです。実在しない“アイドル”を愛せるのか。アイドルは実在する必要があるのか。
単純に握手ができるとかできないとかそういう話ではなく、自分が知覚できていない事を、自分の知るアイドルとして認識できるのだろうか、ということです。
客が多かろうが遠かろうが、自分がわかる範囲にアイドルがいれば、彼女らの表情も、動きも、そして空気も、感じることができます。しかしそれができないほどに会場が大きかったりしたら?


人にとっては、心の安寧が得られるならば、実在するかどうかとかどっちでもいいし確認する必要さえ無いのかもしれません。「実体がなくたって変わらず愛でられる」のかもしれません。
ただ、自分に確認する術がないとしても、感じることができないとしても、アイドルは生身の、そして多くは若い女のコだというファクトは、常に念頭に置きたいです。


すいませんオチとか結論はないです。タイトルはノリで付けましたすいません。